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「徒然草」の自分勝手な現代語訳(意訳)を中心に、ときどき自分の日常もつれづれます。

この嘲弄の上に乗ってふわふわと高い瞑想の領分に上って行くのが自分には大変な愉快になった。 硝子戸の中(夏目漱石)

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2012/05/22

【徒然草】 第十五段

どんな暮らしをしているにせよ、
かわりばえのない毎日では、半分眠っているような
ぼんやりした気分になってしまう...
そんな時 ちょっとした旅にでも出かけられたら、
感覚が広々として目が覚めたような気分になるんだ。

旅先で物珍しくまわりを見て歩いたり
都会では感じられない田舎の雰囲気は
新鮮なことばかりで、ほんと飽きない。
都会の住まいへ「あのこと、あれのこと、よろしく頼む」
なんて連絡するのも、なんとなく面白い。

そんな所では、あらゆることに心が捉えられるせいか
人の持ち物までよく見えて
その人の立ち振る舞いや長所まで
いつも以上に深く感じられてね。
そっと寺や社にこもって、静かに時を感じるのも、
これまた楽しい。

【 原文 】
いづくにもあれ
しばし旅立ちたるこそ目さむる心地すれ

そのわたり ここかしこ見ありき
ゐなかびたる所 山里などは
いと目慣れぬ事のみぞ多かる
都へ便り求めて文やる
「その事 かの事 便宜に忘るな」
など言ひやるこそをかしけれ

さやうの所にてこそ 万に心づかひせらるれ
持てる調度までよきはよく
能ある人 かたちよき人も
常よりはをかしとこそ見ゆれ
寺社などに忍びて籠りたるもをかし

<所感>
人が走る理由について、最近考えていました。
走ることは、時々旅にも例えられるけれど、
人間の足で移動した感覚と
車や電車などで移動した感覚では、
どこか体と気分の整合性というか納得感が
違うのかなと最近感じることがあります。

距離に関係なく、昔の旅は基本徒歩でしょうから、
走るのが好きな人は、
この段で兼好さんが書かれている
“目さむる心地”を体感したいからかなと
なんとなく思いました。

2 件のコメント:

  1. 走るのは苦手なんですが、
    昔はよく自転車で、ふらふらと
    あてもなく遠出しました。
    自転車は、身体での移動と、
    機械(乗り物)での移動との、
    ちょうど中間のような感覚で、
    いまでも移動手段でいちばん好きかもしれません。

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    1. 自転車もいいですね。
      ランだと、あてもなく遠出...
      とはいかないので。
      (ランで道に迷うと心細くなるので)
      でも、違う景色が見られて
      どちらも楽しいです。

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