ブログについて

「徒然草」の自分勝手な現代語訳(意訳)を中心に、ときどき自分の日常もつれづれます。

この嘲弄の上に乗ってふわふわと高い瞑想の領分に上って行くのが自分には大変な愉快になった。 硝子戸の中(夏目漱石)

ページ

2011/06/06

【徒然草】第七段

例えばさ、“あだし野の露”がいつまでも消えなかったら、とか
“鳥部山の(火葬の)煙”が立ち昇り続けたら、
って考えると、ちょっとゾッとするよね。
永遠なんてないから、生きてる意味があると思うんだけど。

それで、生き物の中でもダントツバカなのは
人間って思わない?
カゲロウは夕方までの命だし、
セミは春も秋も生きられない。
人間だって1日1日を大切に生きられたら、
1年だけでも、生きた!って感じられるとはずなんだけど。

それが、無駄に年を重ねて、あくせくと生きて...
千年生きたとしても一瞬の夢だね、きっと。
永遠がない世界で永遠を求めると、姿は醜くなっていくし、
長生きした分だけ、恥にまみれてしまうのに。
人生の目安は、40歳前くらいがふさわしい気がするんだ。

そこからはもう、人からどう思われてもよくなったり、
寂しくなって人付き合いを増やしたりして。
人生の時間では夕方頃なのに、孫がかわいくなって
やっぱ立派になったとこまで見たいなー、
なんて寿命を欲張っちゃって。
人の欲は底なしだから、「もののあはれ」なんて
頭の片隅にもなくなってしまうんだ。
まったく、イヤんなるね。

【原文】
あだし野の露消ゆる時なく
鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば
いかにもののあはれもなからん
世は定めなきこそいみじけれ

命あるものを見るに人ばかり久しきはなし
かげろふの夕べを待ち 夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし
つくづくと一年を暮すほどだにも こよなうのどけしや

飽かず惜しと思はば 千年を過すとも 一夜の夢の心地こそせめ
住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て 何かはせん
命長ければ辱多し 長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ
めやすかるべけれ

そのほど過ぎぬれば かたちを恥づる心もなく
人に出で交らはん事を思ひ
夕べの陽に子孫を愛して さかゆく末を見んまでの命をあらまし
ひたすら世を貪る心のみ深く
もののあはれも知らずなりゆくなん あさましき

<所感>
“ジジイになる前に死んでやる!”っていうあれですね。
兼好さんは70歳位まで生きてたらしいので、
荘子とか読みまくっていた若い頃に勢いで書いたような気がします。
ちなみに、このころの寿命は60歳という定命観があったそうです。

※あだし野・鳥部山は枕詞。以下は共に源氏物語から。

源氏物語・手習
「あだし野の 風になびくな 女郎花 われしめゆはん 路遠くとも」

源氏物語・須磨
鳥部山 燃えし煙も まがふやと 海人の塩焼く 浦見にぞ行く」

※夏の蝉、恥のところは、荘子からの引用

2 件のコメント:

  1. >ちなみに、このころの寿命は60歳という定命観があったそうです。

    現代の60代は元気で若いですよね。
    まだまだこれから、というかんじがします。
    自分の60代…想像もできないですね。
    何か変わるんだろうか?

    返信削除
  2. to:マツさん

    村上春樹は「走ることについて語るときに僕の語ること」
    の中で、「若き日のミック・ジャガーには四十五歳になった自分の姿を想像することができなかったのだ。若き日の僕にもそんなことは想像できなかった」と、書いていました。
    みんな、年を取るのは初めての体験なんだ、と。

    僕も今の実年齢にも戸惑うことがあるのに、
    10年以上先の自分なんて想像もつきません...
    でもマツさんをはじめ、頑張っている先輩を見ると、「年を重ねるのも悪くないか」と思ったりもします。

    返信削除