ただひとり、あかりのもとに書物を広げ、
どこか遠い世界にいる人を「友」と呼ぶ。
それほど、心休まることがあるだろうか。
書物は、文選(もんぜん)の趣深い巻物の数々、
白楽天の詩文集、老子の言葉、荘子の物語、
この国の文章(もんじょう)博士達が書いたものでも
古ければ、なかなか面白いものが多い。
【 原文 】
ひとり 燈のもとに文をひろげて
見ぬ世の人を友とするぞ こよなう慰むわざなる
文は文選のあはれなる巻々
白氏文集 老子のことば 南華の篇
この国の博士どもの書ける物も
いにしへのは あはれなること多かり
※文選・・・周より梁に至る作家の詩・賦・文を集めたもの。昭明太子の撰。
※(文章)博士・・・大学寮・陰陽寮にあって、学芸の教授、学生の課試を任務とした。
<所感>
本が好きだから一人が好きなのか、
一人が好きだから本が好きなのか、
なんにせよ鎌倉時代の人とあっさり共感できてしまう
読書ってスゲーなと思います。
今だったら、プラトンやアリストテレスも
友の一人に選んでいたかもしれないな。
兼好も「読書尚友」を説いていたワケだ。
返信削除山本夏彦も《生きている人と死んだ人を区別しなかった》
んだそう(「樗材だって生きられる」『嶋中労の「忘憂」日誌』)で、
老荘思想を学んだ奴は皆そういうんかいな?
その嶋中さんなんて《友だちは死んだ人に限る》
とか言っているし、存外さみしがり屋のつむじ曲がりは
皆「読書尚友」を説くんだろうなぁ(笑)
to:帰山人さん
削除老荘と読書尚友は、本来相容れない感じもしますが、
それでも老荘好き!読書好き!とためらいなく言えるのは
兼好すごいなと思います。
読書が好きな人間は、つむじ曲がりか?
けっこう多い、、というかほとんどな気もしますね(笑)